2012年11月7日水曜日

macを使用する閉塞感(長文・愚痴)

mac を使用するという、えも言われぬ「窮屈」な感じ、閉塞感について語る。

mac(というかApple製品全般に言える事だろう)を使用していると、幾つか不満な点が出てくる。

それの主な原因は、選択肢が一つしか無い、または非常に少ないと言う事だ。

どうもブログ主には理解できないが、よく「それは美しくない」という表現をApple界隈で見かけたり聞いたりする。
それは、ネット上だけでなく、形而下な出来事でも良く聞く。

どうもその美しいという感覚は、「Apple的であるかどうか」という意味らしく、その答え一本さえあれば、その他の選択肢は全て「Apple的でない=美しくない」モノとなり、即ち不要と言う事になる。

AppleがApple的である原因は、デファクトスタンダードになれなかった歴史的経緯からであり、複数の選択肢(モデル)を用意した商売がコスト的に厳しかったという理由だと思う。

そのため、モデルを最小限に絞り、選択肢を狭め、部品を少なくし、その代わりにデザイン性を極限にまで高めたモノ作りに特化した。

mac は、こういうビジネスモデルで販売していたため、何とか生き残れたが、iOS 端末でも同じビジネスモデルで販売している。
選択肢を狭めてデザイン性を高めたモノ作りは、その低コストからくる利益率の高さは、連日ニュースに出ている通りである。

その儲けがユーザや株主に還元されるのならまぁ良いのだが、そういう話も聞かない。

もしかしたらそこがAppleの限界なのかも知れないが、ユーザのニーズ(多様性)に「美しさ」を押し付けない商売のしかたをAppleは出来ないのかも知れない。

コンシューマではそれで良いが、ビジネス向けには「美しさ」は不要と考えるし、そこにもどかしい「閉塞感」を感じる。

そんなユーザは、Appleを使わなければ良いのだが、仕事だから仕方ない。
これからも窮屈な思いをしなければならないと考えると、気が重い。
はぁあぁぁ。。

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